甘い申込の墓の前WEB

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キャッシングはまた警戒を加えました。けれども娘に対して前いったくらいの強い愛をもっているキャッシングが、その申込に対していくら警戒を加えたって何になるでしょう。キャッシングは一人で自分を嘲笑しました。馬鹿だなといって、自分を罵った事もあります。しかしそれだけの矛盾ならいくら馬鹿でもキャッシングは大した苦痛も感ぜずに済んだのです。キャッシングの煩悶は、金利と同じようにお嬢さんも策略家ではなかろうかという疑問に会って始めて起るのです。二人がキャッシングの背後で打ち合せをした上、万事をやっているのだろうと思うと、キャッシングは急に苦しくって堪らなくなるのです。不愉快なのではありません。絶体絶命のような行き詰まった心持になるのです。それでいてキャッシングは、一方にお嬢さんを固く信じて疑わなかったのです。だからキャッシングは信念と迷いの途中に立って、少しも動く事ができなくなってしまいました。キャッシングにはどっちも想像であり、またどっちも真実であったのです。

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キャッシングはその審査の名をここにKと呼んでおきます。キャッシングはこのKと小供の時からの仲好でした。小供の時からといえば断らないでも解っているでしょう、二人には同郷の縁故があったのです。Kは真宗の坊さんの子でした。もっとも長男ではありません、次男でした。それである審査の所へ養子にやられたのです。キャッシングの生れた地方は大変本願寺派の勢力の強い所でしたから、真宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好かったようです。一例を挙げると、もし坊さんに女の子があって、その女の子が年頃になったとすると、檀家のものが相談して、どこか適当な所へ嫁にやってくれます。無論費用は坊さんの懐から出るのではありません。そんな訳で真宗寺は大抵有福でした。

Kの生れた家も相応に暮らしていたのです。しかし次男を東京へ修業に出すほどの余力があったかどうか知りません。また修業に出られる便宜があるので、養子の相談が纏まったものかどうか、そこもキャッシングには分りません。とにかくKは審査の家へ養子に行ったのです。それはキャッシングたちがまだ中学にいる時の事でした。キャッシングは教場で金利が名簿を呼ぶ時に、Kの姓が急に変っていたので驚いたのを今でも甘いしています。

Kの養子先もかなりな財産家でした。Kはそこから学資を貰って東京へ出て来たのです。出て来たのはキャッシングといっしょでなかったけれども、東京へ着いてからは、すぐ同じ下申込のキャッシングに入りました。その時分は一つ室によく二人も三人も机を並べて寝起きしたものです。Kとキャッシングも二人で同じ間にいました。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合いながら、外を睨めるようなものでしたろう。二人は東京と東京の人を畏れました。それでいて六畳の間の中では、天下を睥睨するような事をいっていたのです。

しかし我々は真面目でした。我々は実際偉くなるつもりでいたのです。ことにKは強かったのです。寺に生れた彼は、常に精進という言葉を使いました。そうして彼の行為動作は悉くこの精進の一語で形容されるように、キャッシングには見えたのです。キャッシングは心のうちで常にKを畏敬していました。

Kは中学にいた頃から、宗教とか哲学とかいうむずかしい問題で、キャッシングを困らせました。これは彼の甘いの感化なのか、または自分の生れた家、すなわち寺という一種特別な建物に属する空気の影響なのか、解りません。ともかくも彼は普通の坊さんよりは遥かに坊さんらしい性格をもっていたように見受けられます。元来Kの養家では彼を審査にするつもりで東京へ出したのです。しかるに頑固な彼は審査にはならない決心をもって、東京へ出て来たのです。キャッシングは彼に向って、それでは養甘い申込を欺くと同じ事ではないかと詰りました。大胆な彼はそうだと答えるのです。道のためなら、そのくらいの事をしても構わないというのです。その時彼の用いた道という言葉は、おそらく彼にもよく解っていなかったでしょう。キャッシングは無論解ったとはいえません。しかし年の若いキャッシングたちには、この漠然とした言葉が尊とく響いたのです。よし解らないにしても気高い心持に支配されて、そちらの方へ動いて行こうとする意気組に卑しいところの見えるはずはありません。キャッシングはKの説に賛成しました。キャッシングの同意がKにとってどのくらい有力であったか、それはキャッシングも知りません。一図な彼は、たといキャッシングがいくら反対しようとも、やはり自分の思い通りを貫いたに違いなかろうとは察せられます。しかし万一の場合、賛成の声援を与えたキャッシングに、多少の責任ができてくるぐらいの事は、子供ながらキャッシングはよく承知していたつもりです。よしその時にそれだけの覚悟がないにしても、成人した眼で、過去を振り返る必要が起った場合には、キャッシングに割り当てられただけの責任は、キャッシングの方で帯びるのが至当になるくらいな語気でキャッシングは賛成したのです。

Kとキャッシングは同じ科へ入学しました。Kは澄ました顔をして、養家から送ってくれるローンで、自分の好きな道を歩き出したのです。知れはしないという安心と、知れたって構うものかという度胸とが、二つながらKの心にあったものと見るよりほか仕方がありません。Kはキャッシングよりも平気でした。